資生堂パーラーの歩み:ソーダファウンテンからミートクロケットまで

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銀座の資生堂パーラーは、洋食の老舗として知られています。ここでは、資生堂パーラーの公式サイトに書かれている歴史をもとに、その歩みをたどります。最初に注意したいのは、1872年に福原有信が銀座で創業したのは日本初の民間洋風調剤薬局で、これは後の資生堂にあたり、資生堂パーラーの創業ではないという点です。

街の洋食屋さん

薬局の中のソーダファウンテンから

公式サイトによると、1902年に薬局の中に日本初のソーダファウンテンが設けられ、ソーダ水とアイスクリームが提供されました。ここから飲食の事業へと発展し、のちの資生堂パーラーになっていきます。この時点ではまだレストランではなく、飲み物と冷たいお菓子を出す場所でした。

洋食のはじまり

震災をこえて、レストランの開業へ

1923年には関東大震災で店舗が全壊しましたが、同じ年の11月に仮設店舗で再開したと公式に書かれています。そして1928年7月、出雲町店が「資生堂アイスクリームパーラー」として西洋料理のレストランを開業しました。レストランの開業は1928年で、1902年ではありません。

  • 1902年:薬局内にソーダファウンテンを設ける
  • 1923年:関東大震災で店舗が全壊し、11月に仮設店舗で再開
  • 1928年7月:西洋料理のレストランを開業
  • 1954年:株式会社資生堂パーラーに社名変更
ナイフとフォーク

ミートクロケットのきっかけ

公式サイトでは、1931年に高石鍈之助がミートクロケットを考案したと説明されています。着想のきっかけは、1921年に赤坂離宮で提供されたフォアグラ入りのクロケットに感銘を受けたことだとされ、公式も「きっかけとされる」と書いています。考案の年は1931年で、1921年はきっかけとなった出来事の年です。

公式サイトにはほかに、2002年に創業100周年、2022年に創業120周年を迎えたという記載もあります。ソーダ水とアイスクリームから始まった場所が、震災を乗りこえてレストランを開き、のちに社名を変えて続いてきたことが、公式の年表から読み取れます。薬局、ソーダファウンテン、レストランと、同じ銀座で形を変えながら歩んできた様子がうかがえます。

お出かけ前には、お店の公式な案内で営業日や時間を確認してください。資生堂パーラーでの思い出の一皿があれば、ぜひ投稿から教えてください。

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