東京・上野の公園の中にある上野精養軒は、洋食の老舗として知られています。ここでは上野精養軒の公式サイトに書かれている歴史だけをもとに、その歩みをたどります。公式の説明は店の立場で書かれたものですので、「公式の説明では」と受け止めてください。
築地での創業
公式の説明では、精養軒は明治5年4月、西洋料理の草分けとして、元勲の三条実美と岩倉具視卿の支援を受け、東京の築地に創業しました。創業者は北村重威と紹介されています。築地の精養軒と上野の精養軒は別の系統ではなく、同じ精養軒の歩みの中にあります。
上野公園の中の「支店」として
上野の開業は明治9年(1876年)です。上野公園の開設に伴い、公園内の食事処であり、人びとが集う社交の場として、築地に対する「支店」の形で開業したと公式に書かれています。岩倉卿の勧めがあったとも説明されています。なお、創業の年は明治5年で、1876年は上野の開業の年です。この二つを取り違えないようにしましょう。
震災、そして事業の広がり
大正12年(1923年)の関東大震災で築地の本店が焼失し、その後は上野精養軒が本店の役割を果たすことになったそうです。公式の年表からは、そのほかにも次のような出来事が読み取れます。
- 大正7年(1918年)1月21日:会社を設立
- 大正9年:結婚式場の先駆けとして神殿を新設
- 大正12年(1923年):関東大震災で築地本店が焼失
公式の「創業150周年」のメッセージによると、精養軒は当初「我が国を代表する本格的な西洋料理店」としてスタートし、洋食レストランのほか、宴会、婚礼、出張仕出し、列車食堂、ビアホール、ホテル業などへと事業を広げていきました。一軒の洋食店が、人びとの暮らしの節目に寄りそう場へと育っていった様子がうかがえます。
年号と西暦が入り混じる年表は、少しややこしく感じられるかもしれません。そんなときは、築地での創業、上野での開業、震災後の本店機能という三つの出来事を、順番に並べて整理してみてください。一つの店の歴史を、場所の移り変わりとあわせて眺めると、洋食が日本に根づいていく道のりも、少し身近に感じられるはずです。
お出かけ前には、公式の案内で営業日や時間を確認してください。上野や築地にまつわる洋食の思い出があれば、投稿のページからそっと教えてください。